kjohnのブログ

忘れないうちに書いて残しとく

映画『屍者の帝国』感想のようなもの その1

10月2日に公開され、当日に観てきました。初回でしたが平日の午前中なのもあってかお客さんは30人程度で、ほぼみんな20代っぽかった。

 

まず映像的に思ったのは屍者の動きがとても良いと言うこと。本作では屍者が大量に出てくるところ、アフガン・カイバル峠での屍者同士の戦闘などでは3DCGが利用されているんですが、ここの屍者の動きが「ちゃんと」気味が悪くて良かった。屍者の動きは体の部位同士が連動していないらしい動きをするせいで不気味の谷現象を起こし、生者とは明らかに異なる気味の悪い挙動を起こすわけなのですが、これが手書きアニメの中に混じっている3DCGの異質さとちょうどマッチしており、屍者のいる戦場の風景というのはこんな感じなんだという説得力がありました。

 あと、日本で相撲を見るシーンは屍者との身体の挙動の対比なのかなと思うなど。

 

 

それで、次が本題。

そもそも『屍者の帝国』は、原作小説が書かれた背景が重要で、それは映画『屍者の帝国』でも同じで、またこの作品は「ハードSF作品」であって、細かい設定がもりだくさんである。なので映画化するにあたって結構内容を削ったりキャラクターの関係が変更されたりしていて、とくにSF的な説明や主題等、原作で繰り返された説明が映画では1度しかセリフで言ってくれないものもあるので原作未読者は観るにあたっては2時間集中していないと何が起こっているのかわけがわからない事態に陥る気がする。

それからノイタミナの企画した「Project Itoh」について思うこともあるけどここではそれは一旦脇におき。

 

原作小説『屍者の帝国』で、ワトソンとフライデーの関係は伊藤計劃円城塔の関係に当てはめることができるようになっていて、ワトソン(伊藤計劃)の活躍を傍でみていたフライデー(円城塔)による記録が小説『屍者の帝国』だった。

映画では関係は入れ替わって生者のワトソンが円城塔、屍者のフライデーが伊藤計劃として読み取れるようになっていて、亡くなった親友フライデーの魂を求めてワトソンが旅をするという形になっていた。おまけにBLになった。

映画化するにあたって尺を2時間で収めるという制約があったなか、原作よりもワトソンに直接的でわかりやすい動機を与えたかったのだと思うけれど、それでも伊藤計劃円城塔の関係への意識は残しておくということを成しているわけで、それだけでもう自分としては良くやったと思いもするんですが。(円城塔としては映画版のワトソンとフライデーの関係は思いつかなかったことらしい。そりゃあBLになっちゃうからな…)

 

いわゆる原作改変というものは個人的には許容しているですが、魂と意識の物語というよりもっと個人的なBLの物語っぽくなっているところ。これを良しとするか正直自分のなかでも迷う部分ではある。