kjohnのブログ

忘れないうちに書いて残しとく

近況2

アイデンティティ・クライシス

自分のこの10年弱はこれを常に意識する時間だった。高校の頃から友人達となんかやろうなんかやろうと言い続けてきた。

 

しかし、先日自主制作映画を完成させることができ、この問題はこれによってかなり解決された。

 

この記事はその後の話、残滓のようなものを書こうと思う。

高校時代、モラトリアムの悩みを抱えていた自分と一番距離が近かったのは友人は3人いた。最初、4人で大学で映画を撮ろうと考えていた。

が、3人は大学のサークルの雰囲気に馴染めずにやめていった。自分は映画が好きで、というか自分が創作するとすれば映画以外なにも詳しくないのでできないと思ったから、自分だけはサークルに残りちょっとずつ準備をしていった。

そのうち友人たちは今度はゲームを創ろうと言い出した。自分はゲームは詳しいが作り方はわからなかったが友人の内一人がプログラミングの腕が相当良かったのでゲーム制作をすることになった。自分はゲームの作り方を勉強しつつとりあえず制作することになった。しかし、ゲームづくりは1日2日で覚えられるほど簡単ではなかった。プログラミングができる友人は自分らが出すアイデアをどんどん実装していったが、そのうちアイデアを出す勢いは弱まっていった。アイデアを出すことしかできない友人のひとりは自分らがプログラミングを出来ず、実装する負担をひとりに押し付けていることに後ろめたさを感じているようだった。そのうちこの企画の話をするものは誰も居なくなった。同時に、後ろめたさを感じていたらしい友人は大学でも会わなくなった。

 

誰もゲームづくりについて今もまだおしまいにしようとは言わなかったが、

この企画は間違いなく終わった。

まずかったのはこの企画が終わったことを全員で共有できていないことだ。そのせいでなんとなくこの友人たちで会うことに後ろめたさがだけが残った。

自分は3人のうち2人とはまだ話すこともあるし、プログラミングができる彼とはなんなら今も一緒にLoLやハースストーンをする仲である。だがあと一人は本当に近況がわからなくなってしまった。

 

 

自主制作映画を創る上でこの経緯は絶対に欠かせない要素だと思った。この映画を作ることは自分がモラトリアムを脱するための手段だったからだ。

そもそも普通に映画を作ったところで色んな人に評価されるほどのものを完成させられる才能はないと気づいていた。だから、映画は人に見せるためというより自分のために創ることにした。小説を書くのではなくて、日記を書く感覚だ。

そうすると映画の出来の悪さと作中にこれまでの自分の経緯を含ませることは正当化できる。そう考えた。

そして、作中には自分の物事の考え方や身の回りのいろんなことをどう捉えているかみたいなものを表現することができたが、映画の一番のテーマは

「色々やったら、その結果友人を失った」であったのだと思う。

これは自分の状況と同じだと思う。この10年弱の近況を一言で言うと

「友人と人生に悩んで創作をした結果、振り返ると友人は居なくなっていた。」

である。

 

 

制作を通じて自分の考えを整理できたのは非常に良かった。

残滓として残ったのはモラトリアムを脱した感覚と友人と疎遠になったことへの侘しさである。