kjohnのブログ

忘れないうちに書いて残しとく

『MGSV:TPP』ドラマ的な構成

今作は50まであるエピソード(Episode)の始まりと終わりに、キャストとスタッフのクレジットが出る。これは明らかにTVドラマの影響で(特に海外ドラマに近い)、これと合わせてエピソード31まで終えるのに40時間かかった自分の体験からすると、エピソード1つにつき1時間程度のボリュームになるようにデザインされていたのだと思う。

ストーリーのを細かく分けてミッション制にしたのは『MGSPW』からだけれど、この構成をドラマシリーズのように扱うことにしたのは上手いと思うし、各エピソード(ミッション)で達成目標があって、その上ちゃんと毎回のエピソードで全体のストーリーも進行していくというところにも、ドラマシリーズらしさを感じる。

レビューで「やめどきが見つからない」というのをよく見たけれど、それは今作がドラマ的な構成を取っているからだと思う。

物語の時間軸の長さとスケール

論理的な説明があるわけでもないけど思いついたことを文章にしてみただけの話。

 

普段小説やなんかを呼んだりする中で、スケールの大きな話。というときにイメージするのはその話で語られる事象が起きた場の広さ(街全体か、国全体か、あるいは地球全体や、宇宙全体の場合もある)が大きい話を指すとなんとなく思っていた。

 

でも自分の中では スケールの大きな話=物語の舞台の大きさ とするのは、これまたなんとなくすっきりしないというか、違和感があった。

それで考えたのは物語のスケールとは「物語の起きる場大きさ」(空間的スケール)と「物語の時間的な長さ」(時間的スケール)で決まるのでは。ということ。「物語の時間的な長さ」とは、その物語の中で描写される事象の始まりから終わりまでの長さということを指し、その作品の長さ(書籍だと何冊かとか何文字だとか)や語られる長さ(10分とか2時間とか)ではない。

 

例えば「ある街の、ある1日の物語」と「ある街の、ある1年の物語」だと1年の物語と聞くと、なんだか「スケールが大きい」っぽい気がする。

長い話って例えば何なんだろうと考えると、普段目にするような作品で自分が思いついたものだと『2001年宇宙の旅』人類が誕生してからより上位の存在となるまででだいたい300万年から400万年くらい?で結構長いと思う。『魔法少女まどか☆マギカ』もインキュベーターが人類文明に関わってくるし同じくらい長いか。『火の鳥』もだいぶ長い物語だ。あと宇宙史は問答無用で最も長い話だけれど、それは普段触れることのない物語じゃないし、あまり面白くないのでここではとりあえず考えないでおく。

 

自分がある物語に触れるとき、基本的にそれがスケールの大きな話だとそれだけで楽しいけど、もうひとつ重要なのはスケールの大きさの表現の速度(という言い方しか思いつかなかった)だと思う。

スケールの大きさの表現の速度。時間的スケールで言うなら『2001年宇宙の旅』でヒトザルが骨を空に投げてから人工衛星のカットに繋がるのでこの2カットで数百万年が過ぎる。 (カット間で数百万年が過ぎるとはとんでもない速さだ。)回想や前日譚だと物語のスケールが過去方向に拡大する。物語にふれいている時、回想や前日譚を知ることによってある種の衝撃を受けるのはスケールの拡大を感じていることが一つの要因だと思う。伏線が後に明らかになった時の衝撃も似た感触な気がする。

それから推測だけど、スケールの大きな話っていうのは空間的にしろ時間的にしろ大きければ大きいほど作者としては語るのが大変そう。

『MGSV:TPP』冒頭の病院のシーンについて

『MGSV:TPP』の冒頭、XOFの襲撃から、エイハブがイシュマエルに導かれて逃げるシーン、エイハブは9年間昏睡状態だったので初めはうまく歩けずに床を這って進み、次第に足で歩けるようになっていくわけだけど、これは多分、人間の誕生と重ねているんだと思う。

 

ゼロ・グラビティ』のラストでも、地球に帰還したライアンが水の中から這って出てきて重力に抗うように立ち上がったあのシーンと同じように。

 

 2015-09-14追記

ゼロ・グラビティ』の最後は生物の進化のメタファー(海から陸へ、さらに直立二足歩行へ)でもあると誰かが言っていた気がする。それで即座に思い出すののはメタルギア サヘラントロプスはシリーズ初の直立二足歩行だったこと。病院のシーンも「直立二足歩行への進化」を意識しているのだろうか(ちなみにローンチトレーラーや発売前後の小島監督のツイートでも「進化」という単語はしばしば見られた。

『MGSV:TPP』クリアしたので軽く感想を

METAL GEAR SOLID V:THE PHANTOM PAIN』(メタルギアソリッドV:ファントムペイン)の本編ネタバレを含みます。

 

 

 

 

 発売日直前にこんな記事を書き、発売日を迎え、1週間かけてシナリオをクリアしたので(達成率はまだ50%くらいだけれど)ちょっと思っていることなど。この記事は個人的な思いを書くということにしておいて作品の考察とかは別の記事にしようと思う。

kjohn.hatenablog.com

 

主人公について

まず、小島監督はゲームを創る上で映画的な演出を用いることで評価されているわけだけど、それでも絶対に忘れないのはあくまでも作品が「映画」ではなく「ゲーム」であるということである。

つまりゲームは映画と違ってプレイヤーが実際にキャラクターを動かすので作品への没入感が映画とは異なる。映画はある視点から映像を観ることになるのでどちらかと言うと視聴者はストーリーの「目撃者」に似た形で追体験することになるが、ゲームだとプレイヤーの操作がそのままキャラクターの行動になるのでプレイヤーは「目撃者」というよりも「当事者」に近い形になる。

 

メタルギア』シリーズでもこれを意識させられる仕掛けは多く、VR訓練や『MGS4』における『MGO』を通した体験のような「ゲームによる体験」が本編の内容に関わっているというものがたくさんある。

その最たる例と言えるものが『MGS2』そのものだったわけで、主人公の雷電というのはゲームのプレイヤーそのものだった。

 

それで今回の『MGSV:TPP』ではどうだったかというと、「Episode 46 世界を打った男たちの真実」で今作の主人公の「ヴェノム・スネーク」が本当のBIGBOSSではなく、BIGBOSSを守るための影武者だったことが明かされる。この瞬間プレイヤーは自分が操作してきたキャラクターがBIGBOSSじゃなかったことについて落胆だとか怒りだとかいったネガティブな感情を抱くことになると思う。だが、これはその直後の「ヴェノム・スネーク」もまたBIGBOSSであるというBIGBOSSの宣言によってフォローされる。この展開について否定的な意見もあるらしいが、自分は実にゲーム的でよかったと思う。なぜならプレイヤーはゲームを通じて実際にBIGBOSSとして振る舞う(ゲームをクリアする)ことに成功しているからだ。プレイヤーが本編をクリアできたということがこの展開が論理的に無理のないものであるという一番の証明になる。

この構造はこの作品がゲームであることで可能となるギミックだと思うし。『MGS2』でのソリッド・スネーク雷電の関係を『MGSV:TPP』でBIGBOSSとゲームのプレイヤーでもって行うことでよりプレイヤーを巻き込む形に進化していてこの時点で自分は今作は最高のゲームであると確信した。

 

(もし)シリーズ最終作だとしたらどうか

発売日直前にA HIDEO KOJIMA GAMEのメタルギアはこれで最後になるんじゃないだろうかと不安になっていた自分としては、もしそうであるなら今作によってメタルギアサーガの円環が完全に閉じることを期待していた。

発売時はメタルギアサーガの最後のミッシングリンクだとかシリーズ最大の謎が明らかになるとか宣伝されていたけれど、自分としては今作は正直その点に焦点が当てられているようには感じなかった。というかEpisode 51が本編未収録で製作途中の段階のものが別に収録されていたり、トレイラーで使われていたシーンで本編に出て来ていないシーンがあったりしていたことから、実はゲーム化されていないシナリオがあるんじゃないかと思っている。

Episode46の最後で「ヴェノム・スネーク」(あるいはもう一人のBIGBOSS)がMSXに「operation intrude n313」(operation intrude n313は『METAL GEAR』にてスネークに与えられた作戦のコードネーム)と書かれたテープをセットして初代『METAL GEAR』に繋がるというオチだったが、この、「ヴェノム・スネーク」が真実を知ってからのところが短い気がしたし、宣伝で言われていた「最大の謎」はむしろここからであって、それをじっくり扱わないでこれで終わりとするのは物足りない感じがした。(10月にノベライズ版が出るのでシナリオについては確認するつもりではある。)

 というわけでシリーズ最終作としては少し物足りないと思わずにいられない。

 

 

 

あと、今年のTGSでシナリオについて触れたりするのだろうか。

ブログを書くのが思ったより難しかった

以前からTwitterはやっていたけれど、Twitterで言うほど短い内容でもないし、フォロワーにシェアするのも申し訳ないようなことも考えたりした時にそれを吐き出さないでおくのはなんとなく気持ちが悪いので、今までなんとなく読んでいて、いまブログといえばはてなブログがメジャーであるらしい雰囲気を感じていたので思い切ってやってみたけれど。

 

いざ記事を書いてみると、なんとなーく読んでくれる人に配慮した書き方をしなきゃならないな、とか。書く内容について何の予備知識もない人にも説明はあったほうがいいんだろうか。なんて考えているうちに結局書く手が止まってしまい、ツイートとは違って全然手軽に書けないじゃないか!と思いながら、その点Twitterはすごいんだななんて思っていた。

 

それでも140字では自分が毎日考えていることを発散しきれないので、「あくまで自分が書きやすい風に書く」ことにした。

これで自分への負担も減るし、なんとなくより自分の考えている通りの文章になって気に入ったので、とりあえずこの方式で書いてみることにする。

MGSV:TPPの発売日が来てしまうのが怖い

KONAMI騒動にいい加減疲れたので、『MGSV:TPP』を精一杯楽しむことに集中しようとおもったものの、メタルギアシリーズの今後を考えるとやっぱり心が落ち着かない。

 

コジプロも解体されてしまったし、「A HIDEO KOJIMA GAME」の表記も消されてしまったし、もう『MGSV:TPP』以降、シリーズがこれまでと同じような環境で開発されることはないのだろうか。KONAMIは「新『METAL GEAR』」の制作スタッフを募集しているが、それはつまり制作形態を変えていくと明らかにしているようなものなんだと思う。

 

制作形態が変わっていくということはもしかしたら、これまでのシリーズと全く雰囲気の異なったゲームに成り果ててしまうなんてことがあったりするのだろうか。具体的には小島監督の作家性が、『MGSV:TPP』を最後に、シリーズから失われてしまったりするのだろうか。もしそうだとすると小島監督の意志(SENSE)が込められた作品は『MGSV:TPP』が最後になってしまう。

 

小島監督の「あの」『メタルギア』が最後になるかもしれないなんて、まだ心の準備ができていない。9月2日を境になにかが終わってしまう気がする。だからその日を迎えるのが怖い。